
Riri cobo***
私の革に対する思い。
思ったことを素直に書き留めておこうと思います。
私は革が好きです。
しっとりとした肌なじみ、それは、その革が生きていたということ。
大昔、人は生きるために動物を狩り、食し、その皮を剥ぎ、鞣し、衣服や道具として利用していました。「生きる」という大前提。
命をいただき、自分の命へと継なぐ。大切なサイクルです。
使い終わった革は、また自然へと還り、この大きな流れは続いていきます。
今の世の中には、革に代わる素材はいくらでもあります。
ただ、この素材は必ずしも自然に還るとは限りません。
天然素材と違い、地球にダメージを与える可能性があります。
私は、だから天然素材である革がエコなんだと思います。
「私たちがクラフトに使用するのは、食用にするための牛や豚の革です。その副産物としての革を無駄にしないために、大切に使わせていただいています。」
でも、これは私が革に携わるための逃げ道の考え方。
本当は、葛藤しています。
大昔は、命を頂くところから自分が直接手を下していたのです。
要するに、殺さなければ食べられないし、服を作る革も手に入らない。
大切に敬っていたに違いありません。
今の私たちは、満たされています。
食べる為に生き物を殺す必要がない。
見たくない、やりたくない、知りたくない。
このダークな部分に気がつかないふりをすることができます。
(語弊のある表現ですが、私が思うダークな部分に、ポリシーを持ってお仕事されている方には尊敬の念を表しています)
スーパーに並ぶお肉は、綺麗にパックされ、生きていた形跡は感じられません。
だから、多少のお残しや無駄使いも気にならない。
革の入手も簡単です。
「どんな経緯でこの革が私の手元にあるのか」
残酷なシーンを見る必要がなく、手に入れることができます。
私の手元に届く前のことは、考えなくていい?
考えてもしょうがない?
私は革の質感が好きです。
でも、自分で革を作り出さなければならないのだとしたら、きっと、できない。
だから、動物福祉が良い環境になることを望みます。
革でお仕事をさせていただいている身ですから、革が安く手に入れば嬉しいです。
でも 安価な革が市場に出回ることの背景に、悲惨な飼育状況で、牛や豚がみじめに生かされているのだとしたら、それは絶対に嫌です。
肉も食べます。
革も使います。
勝手な言い分ですが、生かされているのではなく、生きていて欲しいです。
だから、ちゃんと食べて ちゃんと利用します。
「いただきます」「ありがとう」のサイクル。
目を背けたくなるような映像を見ることがあります。
心が張り裂けそうです。
革を扱うお仕事をしていると、このことに加担しているような罪悪感があります。
ネットで流れてくるような残酷なものは、ひと握りの業者だと信じたい。
でも、実際にはわかりません。
生き物の命を、敬意を持って奪うことと、モノのように扱うこと。
結果は、変わりません。殺してしまうのですから。
でも、やっぱり違うはず。
これからも革を使っていくであろう私。
私が決めていること。
生きていたことの証としての敬意を表して「傷のある革も使う」ということ。
命あるものの正当な評価を大切にするため「安さを売りにして販売しない」ということ。
毛皮の作り方について確信が持てないので「明確な自信が持てるまで使わない」ということ。
自分ができない工程を誰かがやってくれていることを「忘れない」ということ。
こんな些細なことしかできませんが、私が出会うことのない、「革」になる前の「生きていた頃の」牛さんたちへのお礼のしるしです。
モノの溢れている時代です。
つい、忘れてしまうことがたくさんあります。
自分の価値観に自信を持ちたい、そんな思いで書き記しました。
2016.8.7 Riri工房主宰 双葉 志仲子